1 テーマ:「Japan at the British Museum, 大英博物館における日本について」
2 日時:2010年2月19日(金)14:00~15:30
3 講師:セインズベリー日本藝術研究所長 ニコル クーリッジ ルマニエール様
【セインズベリー日本藝術研究所について】
・セインズベリー日本藝術研究所のあるノリッジは、15、16世紀にはロンドンに次いで裕福な都市であった。地理的にオランダに近いためにオランダとの交流が昔から盛んで、その結果、オランダから日本の焼物や漆芸品がもたらされたという歴史がある。ノリッジの町並みを見てみると、高いところに窓が設けられている建物が多いことに気付く。これは、織物生産にかかすことのできない光を多くとりいれるための工夫である。
・セインズベリー日本藝術研究所に隣接して大聖堂があるが、現在大聖堂の敷地内に日本庭園を造園中である。大聖堂は講演会の場所として使われることもあり、同研究所は毎月第三木曜日にThird Thursday Lecture(「三木会」)という日本美術・文化をテーマとした講演会をノリッジで行っている。今月の「三木会」のテーマは工芸についてであった。
・セインズベリー日本藝術研究所はその名のとおりセインズベリー卿ご夫妻のご支援により設立された研究所であり、研究所附属図書館では、セインズベリー夫人から寄贈されたバーナード・リーチの旧蔵書や、元駐日英国大使から寄贈された日本の古地図などの貴重資料も所蔵している。同研究所の姉妹機関であるセインズベリー視覚美術センター(Sainsbury Centre for Visual Arts)は複数体の土偶を所蔵している。昨年は大英博物館で「土偶展」を開催した。セインズベリー視覚美術センターはノーマン・フォスターが設計した建築物で、イーストアングリア大学キャンパス内にある。ここで今年 ‘unearthed’展と銘打ち「もう一つの土偶展」を開催することになっている。
【大英博物館について】
・現在の大英博物館のロゴは「The British」が小さく「Museum」が相対的に大きくなっている。これは世界の博物館であることを前面に打ち出すという意味がある。大英博物館の設立目的を見ても「世界のための世界の博物館」とある。世界の博物館として新しい歴史をかき、新しい発見をしていくことに存在意義を置いている。
・大英博物館の始まりは、ハンズ・スローン卿の財産が国へ寄贈されたことがきっかけとなっている。スローン卿は日本関係でも有名な人物で、彼が1727年に日本の歴史について出版した本の中に、「Japan is enclosed country.」というくだりがあり、この本がオランダ人を介して徳川幕府にもたらされ、幕府が翻訳を行う過程で「鎖国」という言葉が作られたというエピソードがある。
・現在、大英博物館と大英図書館の2機関が別個に独立して存在しているが、以前は大英博物館があったのみで、図書とそれ以外の資料を一緒に所蔵していた。、当時は所蔵品の中でも図書がその他のものよりも価値があるものとされていた。大英図書館が建設され(設立され?)、全ての所蔵品を図書館が所蔵するか、博物館で所蔵するかを選り分ける際に、例えば陀羅尼経を納めた百万塔などは経と塔がそろって一つの資料であるにもかかわらず、経典は図書館へ、百万塔は博物館へと選別されてしまった事例もあり、図書館の新設は必ずしも良い結果をもたらさなかった。
・1890年代の大英博物館展示室を撮影した写真を見ると、ショーケースをびっしりと埋め尽くすほど多くの展示品が並んでおり、当時は展示品の数が多ければ多いほどよいとされていたことがわかる。
【大英博物館三菱商事日本ギャラリーについて】
・大英博物館における日本コレクション蒐集のきっかけとなった人物は(大英博物)19世紀に勤務した学芸員オーガスタス・ウオラストン・フランクスであった。、お雇い外国人として大阪造幣局で貨幣鋳造の指導を行なったウィリアム・ゴーランドが日本の古墳を撮影した大量の写真や考古学資料も大英博物館へ入り、ウィリアム・アンダーソンが日本で北斎画を購入して大英博物館へ寄贈した上、英国で初となる日本美術史を執筆、等々1870年代頃から日本のものがたくさん入ってきた。
・正倉院、伊勢(の古社寺)等を調査し帝室博物館(現東京国立博物館)の開設に尽力した蜷川式胤は、日本の陶器を海外に紹介することにも積極的で、大英博物館の学芸員だったフランクスに日本の陶器を売却したことを示す記録が残っている。その関連資料の一つとして、当時の陶器のカタログのようなものも残されている。それを見ると、当時どのようなデザインの陶器が流行していたかがわかる。
・大英博物館では土偶展の他にも日本に関する特別展を開催してきており、以前には「わざの美」や「KAZARI」という特別展を開催した。特別展「KAZARI」では、15世紀から19世紀の日本における飾りとその意識を芸術の観点から展示した。日本語の「美術」という言葉は1873年につくられた言葉であるが、それ以前の日本における美術の概念はどのようなものだったのかと考えると、それは「ハレとケ」を構成するものであったり「飾り」であったりしたということがわかる展示となった。
・特別展「わざの美」の中で着物の展示方法をめぐって問題が生じた。日本人は通常着物を広げて着物の後ろ全体を見せるかたちで展示するが、西洋人からすると洋服は前から見るものという感覚があり、着物を前からも見たいという要望があった。日本人専門家から反発もあったが、最終的には360度どこからでも鑑賞できる展示ケースを用意して何点かの着物はそのケースに展示した。日本人の慣習・伝統ももちろん大切だが、西洋人に日本文化を広めようとする際には日本では当たり前となっている展示方法を見直すことも必要になるということを示す事例である。
・大英博物館の日本ギャラリーは1990年4月にオープンし、2005年半ばから2006年にかけての約一年間の大改装工事を経て2006年10月に常設展示として再オーブンした。新しいギャラリーでは、日本の先史時代から現代までを紹介している。新しい方法で日本を展示することに力を入れており、展示品についての解説も工夫している。
・また現代作品の紹介にも力を入れており、人間国宝を含む現役の工芸作家の作品の展示も重視している。その中でも特に技術の高いものを今後展示していきたい。また過去には生け花の実演を行う特別展示を行ったこともあり、最近では「生きている」とか「現代」というのが展示をする際のキーワードである。
・展示品には、アイヌ民族の衣装、被爆後の広島の地図、鉄腕アトムなどの漫画のポスターやその他映画のポスターなど様々なものがある。(年に3回展示替えがあり、これらの作品は展示されていない場合がある)
・大英博物館三菱商事日本ギャラリーで陶芸展示を手がけている中で最近感じることは、近年日本の存在感が落ちているということである。日本の存在感を上げるためにまた何か特別展を企画したいという気持ちはある。ただ最近の傾向として「craft, tradition」という単語を使うと来館者数が伸び悩むという傾向があり、例えば、craftはcraftingに、traditionはbeautyに置き換えるなど、表現方法も含め、どのようなかたちで日本を見せていくかという点が課題である。
↑わざの美バナーのかかった大英博物館正面
↑わざの美バナーのかかった大英博物館グレートコート
↑ノリッジのセインズベリー日本藝術研究所と大聖堂
↑イーストアーリングリア大学キャンパス内にあるセインズベリー視覚美術センター
↑土偶展図録カバー
↑大英博物館三菱商事日本ギャラリー