2016年10月
ロンドンでは現在、テムズ川に掛かる新たな歩行者専用橋として「ガーデン・ブリッジ」の建設が計画されている。ボリス・ジョンソン前ロンドン市長(任期2008年5月~2016年5月)の強い後押しがあったこのプロジェクトは、新たに建設する橋の全体に木や植物を植えて庭を作り、その中に歩道を敷設するというものであるが、計画は順調に行っておらず、実現が危ぶまれている。
ガーデン・ブリッジの概要
366メートルの橋に270本の木と10万本の植物を植える計画
ガーデン・ブリッジは、北はロンドン中心部に位置する地下鉄テンプル駅、南は文化施設が並ぶサウス・バンク地区を結ぶ長さ366メートルの橋として計画されている [1]。英国人女優ジョアンナ・ラムリー氏が2012年、故ダイアナ元皇太子妃を記念する建築物として新たに建設することをジョンソン・ロンドン市長(当時)に提案したことから始まった。
ガーデン・ブリッジの建設計画は、官民のパートナーシップで事業を行う「パブリック・プライベート・パートナーシップ(Public Private Partnership、PPP)」の形態を取っている。民間部門のパートナーは、2013年に設置され、慈善団体の地位を得ている「ガーデン・ブリッジ・トラスト(Garden Bridge Trust)」であり、建設資金の調達などを行っている。公共部門側では、ロンドン交通局(Transport for London、TfL)がプロジェクト全体の監督を担っている。橋は、完工後、ガーデン・ブリッジ・トラストの所有物となり、橋の運営・維持も、ロンドン交通局に代わって同トラストが担う。同トラストのウェブサイトによると、ガーデン・ブリッジには270本の木と10万本以上の植物が植えられる [2]。橋の利用者は年間700万人と推定されている。橋のデザイナーには、2012年ロンドン・オリンピックの聖火台のデザインなどを手掛けた英国人のトーマス・ヘザーウィック氏が任命されている。当初は2016年初めに着工し、2018年に完工との計画であったが、テムズ川南岸の土地の利用に関する交渉が難航していることなどから工事開始が遅れており、現在は2017年着工、2019年完工との見通しとなっている。
現段階でのガーデン・ブリッジ建築計画の費用見積もりは1億8500万ポンドである [3]。これには、橋の建築費のほか、土地取得費、弁護士費用等が含まれる。1億8500万ポンドのうち6000万ポンドは公費を財源としており、内訳は、運輸省(Department for Transport、DfT)からの補助金3000万ポンド、ロンドン交通局からの補助金1000万ポンドと融資2000万ポンドである。残りの1億2500万ポンドは、同トラストが民間企業や団体、個人などから調達している。
表1: ガーデン・ブリッジの建築費用財源の内訳
財源 | 拠出額 |
---|---|
合計 | 1億8500万ポンド |
運輸省(DfT) | 3000万ポンド(補助金) |
ロンドン交通局(TfL) | 1000万ポンド(補助金) 2000万ポンド(融資) |
民間部門から調達 | 1億2500万ポンド |
しかし、民間からの資金調達は必ずしも順調ではなく、2016年8月に英国国営放送BBCで放映されたニュース番組で、過去1年間に一部の出資者が撤退するなどしたため、民間からの資金が5200万ポンド足りないことが報じられた [4]。この番組には、ガーデン・ブリッジ・トラストの会長も出演し、民間からの出資金が不足していることを認めた。同トラストのウェブサイトでは、「(公費と民間からの出資を合わせて)1億2900万ポンド以上の出資が約束された」と記されている(2016年10月現在)[5]。ロンドン交通局のウェブサイトでは、この約束された1億2900万ポンドの資金の内訳が公開されている [6]。
完工後の橋の運営・維持費については、ガーデン・ブリッジ・トラストは年間200万ポンドと見込んでいる [7]。橋の開通から6年目以降、橋の運営・維持費をガーデン・ブリッジ・トラストが自らの収入でまかなえない場合、グレーター・ロンドンの広域行政体であるグレーター・ロンドン・オーソリティ(Greater London Authority、GLA)がこれを保証することをジョンソン前市長が任期中に合意している [8]。橋の開通から5年間の運営・維持費は、トラストが現在行っている民間部門からの資金調達の中で獲得する計画である [9]。また、橋の建設計画が取り止めになった場合、業者に支払うキャンセル料については、運輸省が900万ポンドを保証することで合意している [10]。なお、同トラストが作成したガーデン・ブリッジの事業計画では、橋の開通後5年間の収入及び費用の見込みも示されている [11]。収入源としては、イベントスペースとしての橋の貸出、企業を対象とする会員制度、一般の利用者からの寄付、ガーデン・ブリッジ関連商品の販売、ファンドレイジング(資金調達)イベントの開催などを見込んでいる。
デザインコンペティションの公平性などに疑問の声
緊縮財政下での公費拠出も批判の的に
ガーデン・ブリッジについては、デザインのコンペティションの公平性、計画されている場所での橋の必要性、公費拠出の妥当性などについて疑問が投げかけられており、既に幾つかの調査も行われている。十数年前からガーデン・ブリッジの建設を構想していたという[12]ジョアンナ・ラムリー氏は、ボリス・ジョンソン前ロンドン市長と幼少期からの知り合いであり、ジョンソン氏が2012年5月に市長に再選されると間もなく、同氏に橋の建設を提案した [13]。デザイナーのトーマス・ヘザーウィック氏はラムリー氏の友人で、2012年5月付のラムリー氏のジョンソン氏宛の書簡には、「ヘザーウィックと私で橋の構想について話すため、近いうちにお会いしたい」と書かれていた。ラムリー氏は、ガーデン・ブリッジ・トラストのメンバー(trustee)の一人でもある。2013年始め、ロンドン交通局によって橋のデザインのコンペティションが実施されたが、こうしたプロジェクトにおける通常のデザイナー選定のプロセスは採られず、ヘザーウィック氏の事務所を含めた3つの建築事務所のみが応募を求められ、橋のデザインでは遥かに多くの実績を持つ他の2つの事務所ではなく、ヘザーウィック氏が選ばれた [14]。こうしたことから、コンペティションの公平性を疑問視する声が上がり、ロンドン議会の監視委員会(Oversight Committee)がこの件に関して行った調査の報告書(2016年3月発表)は、デザイナー選定のプロセスに様々な不備があったと指摘した [15]。報告書は、デザインコンペティションが実施される前にヘザーウィック氏がジョンソン市長や副市長などと5回にわたって面談していたことを指摘したうえで、こうした市長の行動が「コンペティションの公平性を損なったように思われる」と糾弾した。また、英国の建築家の代表団体である「王立英国建築家協会(Royal Institute of British Architects、RIBA)」の会長は、ガーデン・ブリッジのデザインコンペティションの公平性に関する懸念は憂慮すべきものであり、建設計画をいったん中止し、コンペのプロセスを精査すべきであると発言した [16]。なお付け加えると、ジョンソン前市長は、市長在任中を通してロンドン交通局の理事長でもあった。ヘザーウィック氏は、ガーデン・ブリッジのデザイナーに選ばれる以前、ジョンソン氏の主導で「新型ルートマスター」と呼ばれる新しい2階建てバスがロンドンに導入された際、車両のデザインを手掛けたことがある。
また、テムズ川は、ロンドン塔の近くに位置するタワー・ブリッジ以東に橋が著しく不足しているという問題がかねてから指摘されているが [17]、タワー・ブリッジ以西には既に多くの橋が整備されている。ガーデン・ブリッジの建設予定地はタワー・ブリッジ以西に位置し、西側は約300メートル先に、東側は約600メートル先に既に橋があるため、新しい橋の必要性が明確ではないとの声が上がっている [18]。
さらに、ガーデン・ブリッジは、通行権(public right of way) [19] の付与対象とならないこと、毎日午前0時から午前6時まで閉鎖される予定であること、年間12日までイベントスペースとして使用することが許可されており、イベント開催中は一般市民が通行できなくなることなどから、公共性の薄さが指摘されており、公費投入の妥当性にますます大きな疑問が投げかけられている。特に英国では2010年に保守党と自由民主党の連立政権が誕生して以降(その後2015年5月の総選挙で保守党の単独政権が発足)、緊縮財政の方針のもとインフラ整備を含めた公共投資への支出が抑制されており、その中でのこうしたプロジェクトへの公費投入は強い批判を呼んでいる。ジョンソン前市長は、前述の2階建てバス「新型ルートマスター」のほか、テムズ川を横断するケーブルカー「エミレーツ・エア・ライン」などを個人的に強く望んで導入に至らせたことで知られていたが、ガーデン・ブリッジもそれらのプロジェクトと同様、前市長の「自己陶酔プロジェクト」であったとして非難されている。ロンドン議会は2015年6月、ロンドン交通局からのガーデン・ブリッジへの拠出金を撤回するよう求める動議を可決している(この動議に法的拘束力はない)[20]。
一方、ガーデン・ブリッジ・トラストは、ガーデン・ブリッジ建設のメリットとして、「新しい観光スポットになる」、「テムズ川の北岸と南岸に位置する文化施設と観光名所を結ぶ新しいルートができる」「雇用をもたらす」、「歩くことを奨励し、健康増進に寄与する」ことなどを挙げている [21]。
ロンドンでは2016年5月に市長選が実施され、ジョンソン氏は再出馬せず、労働党のサディーク・カーン候補が当選した。カーン新市長は、当選後間もなく、橋がイベントに使われる日を年間12日未満にとどめること、イベント開催日も橋を終日閉鎖せず、一般市民が通行できる時間を設けることなどを条件として、ガーデン・ブリッジの建設を支持することを表明した [22]。カーン市長はこの際、ガーデン・ブリッジは「閉じられた民間のスペースではなく、全ての一般市民のためのオープンな場所にしなければならない」と述べていた。新市長はさらに、ガーデン・ブリッジのためにロンドンからこれ以上の公費は拠出しないとの方針を明らかにした [23]。また、2016年5月下旬に市長就任後初めて行った「ロンドン市長への質問時間(Mayor’s Question Time)」[24]では、ガーデン・ブリッジの建設計画に拠出された6000万ポンドの公費のうち3770万ポンドが既に使われており、今の段階で計画を中止すると、このまま進めた場合に比べて最終的な公費からの負担は大きくなると述べた [25]。しかし、カーン市長は同時に、メディアでのインタビューで、ガーデン・ブリッジが建設されない可能性もあるとコメントしている [26]。
政府の省の監査機関が運輸省からの補助金拠出について調査
ロンドン市長の委託調査も実施中
英国政府の省及び政府機関の監査を行う組織である「国家会計監査院(National Audit Office、NAO)」は、運輸省によるガーデン・ブリッジ・トラストへの補助金交付の決定などについて調査を実施し、2016年10月に結果報告書を発表した [27]。報告書は、3000万ポンドの補助金拠出はジョージ・オズボーン前財務大臣が運輸省に相談せずに決定したこと、同省が補助金拠出前にガーデン・ブリッジの建設プランを検討した際、金額に見合う価値(value for money、VFM)が低い計画であるリスクが大きいと結論付けていたことなどを指摘した。さらに、ガーデン・ブリッジの建築計画が中止される可能性は依然として高く、その場合、運輸省は最大で2250万ポンドを失うリスクがあると述べた。
このほかにも、慈善団体の規制機関である「チャリティ委員会(Charity Commission)」が現在、ガーデン・ブリッジの建設地域を選挙区とする国会議員からの要請を受け、ガーデン・ブリッジ・トラストによる支出について調査が必要であるかどうか検討している [28]。さらに、カーン市長の依頼で、下院の公会計委員会の前委員長であるマーガレット・ホッジ下院議員(労働党)が、ガーデン・ブリッジ建設計画への公費拠出(運輸省とロンドン交通局による拠出金の両方)によってVFMが達成されているかなどについて精査する調査を行っている [29]。この調査は2016年9月下旬に実施が発表されたもので、ガーデン・ブリッジの建設が最初に提案された時に遡って、ロンドン交通局、GLA及びその他の関係機関が橋の建設計画においてどのような役割を果たしてきたかなどについても調べる。この調査の結果次第ではカーン市長がガーデン・ブリッジの建設計画自体を見直す可能性もあるとの見方も出ている [30]。
脚注
[1]https://www.gardenbridge.london/about-the-project[2]https://www.gardenbridge.london/questions-answers/general
[3]https://www.gardenbridge.london/questions-answers/funding
[4]http://www.bbc.co.uk/news/uk-37112199
[5]https://www.gardenbridge.london/questions-answers/funding
[6]http://content.tfl.gov.uk/garden-bridge-funding-august-2016.pdf
[7]https://www.gardenbridge.london/questions-answers/funding
[8]https://www.london.gov.uk/decisions/md1472-garden-bridge-guarantees
[9]http://content.tfl.gov.uk/garden-bridge-business-plan-march-2016.pdf
[10]http://www.dezeen.com/2016/08/25/garden-bridge-thomas-heatherwick-government-renews-support-reduces-financial-guarantee/
[11]http://content.tfl.gov.uk/garden-bridge-business-plan-march-2016.pdf
[12]http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/road-and-rail-transport/11269872/Joanna-Lumleys-garden-bridge-over-Londons-Thames-given-go-ahead.html
[13]https://www.theguardian.com/artanddesign/2015/may/24/joanna-lumley-role-boris-johnson-thames-garden-bridge-london-thomas-heatherwick
[14]https://www.theguardian.com/artanddesign/2015/may/24/joanna-lumley-role-boris-johnson-thames-garden-bridge-london-thomas-heatherwick
[15]https://www.london.gov.uk/about-us/london-assembly/london-assembly-publications/garden-bridge-design-procurement
[16]https://www.theguardian.com/artanddesign/2016/feb/09/riba-halt-contest-design-garden-bridge-thomas-heatherwick
[17]テムズ川でタワー・ブリッジ以東に橋が不足している問題については、2014年12月のマンスリートピック「テムズ川を横断するロンドンのケーブルカー『エミレーツ・エア・ライン』 ~ 東ロンドンでの橋の不足には政府などが対応策を検討中」を参照のこと。http://www.jlgc.org.uk/jp/wp-content/uploads/2015/01/uk_Dec_2014_021.pdf
[18]https://www.theguardian.com/artanddesign/architecture-design-blog/2015/mar/04/revealed-boris-johnson-duplicitous-handling-garden-bridge-london
[19]私有地を含めた土地で一般の人が通行できる法的権利。
[20]http://www.cityam.com/217207/londons-garden-bridge-faces-uncertain-future-after-opposition-london-assembly
[21]http://content.tfl.gov.uk/garden-bridge-business-plan-march-2016.pdf
[22]http://www.london.gov.uk/press-releases/mayoral/mayor-backs-garden-bridge
[23]https://www.theguardian.com/politics/2016/may/18/sadiq-khan-links-garden-bridge-support-to-list-of-conditions
[24]一般市民がロンドン市長に質問することができるイベントで、定期的に実施されている。
[25]http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-london-36378092
[26]http://www.london-se1.co.uk/news/view/8864
[27]https://www.nao.org.uk/report/investigation-the-department-for-transports-funding-of-the-garden-bridge/
[28]http://www.civilsociety.co.uk/finance/news/content/22067/charity_commission_looking_into_complaints_at_garden_bridge_trust
[29]https://www.london.gov.uk/press-releases/mayoral/review-to-be-conducted-into-garden-bridge-project
[30]https://www.theguardian.com/uk-news/2016/sep/22/sadiq-khan-sets-up-inquiry-into-garden-bridge-projects-use-of-public-money