クレアロンドン事務所からほど近い都心に、セントジェームズパークという大きな公園があります。真ん中に細長い形の池があり、遊歩道にはベンチが備え付けてあったり、コーヒーや軽食を買うことのできるスタンドもあるため、ベンチで食事を取る人、遊具で遊ぶ子供たちやジョギングや犬の散歩をする人などが集う、憩いの場となっています。セントジェームズパークは最古の王立公園で、現在は国会議事堂となっているウエストミンスター、セントジェームズパレス、バッキンガム宮殿の3つの宮殿に囲まれています。もともとは湿地帯だったのですが、13世紀に聖ジェームズに捧げられたハンセン病の病院が立てられたことからセントジェームズパークと呼ばれるようになりました。(※)その後、ヘンリー8世がこの地を取得し、セントジェームズ宮殿を建設、エリザベス女王1世即位後は、公園で様々なお祭りが開催されました。チャールズ2世の時代には、公園が再整備され、街路樹が植えられたり芝生が敷かれ、一般開放されるようになりました。1826年から27年の間に、ジョン・ナッシュの設計で運河を池に変えるなど新たに整備が行われ、現在の姿となっています。
(※)都心にハンセン病の病院があったことからも、日本の隔離政策とは様子が少し異なっていたことがわかります。
1907年に日本でハンセン病患者を隔離、収容することを定めた「癩予防ニ関スル件」が制定されるに至ったのには、英国大使館との間の事件も一因となっていると言われています。東京の英国大使館前でハンセン病患者が行き倒れているのを大使館職員が発見し、外務省へ「貴国はかかる重症癩患者の一人さへ救護せずして放任し、彼の重病者の意の如くに徘徊せしめて省みざるは甚だしく癩患者に対して冷胆ならざるや。加ふるに貴国は世界の一等国なり。その対面上も充分考慮せらるる余地あり」と抗議をしました。英国大使館はハンセン病患者への人道的な対応がなされていないことを批判したのですが、外国の大使館からこのような批判を受けるのは国辱的であるとして、ハンセン病患者の存在を隠そうという方向へと進んでいってしまったそうです。
私も通勤の際に、よくこの公園を通り抜けるのですが、ロンドン名物のリスはもちろんですが、様々な種類の鳥が空、地面、水の上を行き交っています。鳥たちがここで暮らしているのは、1837年にロンドン鳥類学会が寄付し、野鳥管理人のための小屋を建てたことに始まっています。また、セントジェームズパークには大きなペリカンがいるのですが、このペリカンは1664年にロシア大使からの贈られたのが始まりで、毎日午後2時半から3時までの間、日光浴をして過ごしていると公式ページには書いてありましたが、それ以外の時間でも1羽でいるペリカンを見かけることがあります。また、ペリカンは自由に歩き回っていますが、池から離れてしまうことはほとんど無いそうです。
さて、セントジェームズパークにはどれほどの種類の鳥が生息しているのでしょうか。ロックダウン中で週末も楽しめることが少ないこともあり、セントジェームズパークに通って撮影してみたところ、端から端まで10分ほどで歩くことのできる23ヘクタールの敷地内で、50種類の鳥を確認することができました。英名、和名共に調べてみましたので、ご覧ください。英名と和名の違いが興味深い鳥もいました。
(所長補佐 金子 2021.3)
(2021.5 4種類追加)
(2021.8 2種類追加)
(2022.3 1種類追加)