ロンドン南部のランベス区に所在するブリクストンは、アフリカ系・カリブ系の移民が多く住む街として、「ロンドンの黒人文化の中心地」、「ブラックブリテンの故郷」とも呼ばれている。ブリクストンでは、国際色豊かなストリートマーケットが連なり、ストリートミュージシャンによる演奏や数々のストリートアートを楽しむことができ、異国情緒あふれる雰囲気を放つ街となっている。かつては、ロンドンで最も治安の悪い地域の一つとされていたものの、近年の再開発により商業施設やスタートアップ企業の入居施設が建設され、街の様子も変わりつつあるという。デヴィッド・ボウイの出身地としても知られ、多くの観光客も訪れる人気スポットとなっている。
ブリクストンでは、地域住民・コミュニティの歴史や文化の魅力を最大限に発揮しながら、地域の経済成長を促していくことを目的に、2014年、地元企業によって立ち上げられた非営利団体「Brixton BID」が主導して、地域の活性化に取り組んでいる。この団体は、ロンドン市内に設置されている50以上の「ビジネス改善地区(Business Improvement District)」の一つとして、地方自治体や地元企業からの資金提供を受けながら、地域の環境改善や治安警備、マーケティング活動などを行う団体である。
2020年のジョージ・フロイド事件をきっかけに、世界的な「Black Lives Matter Movement(黒人差別反対運動)」が多数発生したことを受け、ブリクストン内においてもこれを支持する動きが強まり、同団体は地域住民とともにどのようにして社会に対し地域の想いを発信し、働きかけていくかを模索していた。そんな中、地域住民やコミュニティの人種、アート、音楽等の歴史・文化的背景や地域が抱える課題において多くの共通点を持つ、米ニューヨークのハーレムにおける取組に関心を持ち、ブリクストンから呼びかけて、2021年6月、同地域の活性化を担う「Harlem BID」と地域間連携協定を締結した。本稿では、この両地域が連携に至った経緯とその内容について紹介する。
―ニューヨーク・ハーレムにおける「Harlem Canvas for Change」
「Harlem BID」は、ハーレムの125番ストリートを中心とした地域の活性化を担う非営利団体である。この125番ストリートは、別名「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア大通り」とも呼ばれ、アフリカ系アメリカ人を中心としたミュージシャンが数多く活躍する世界的クラブ、アポロ・シアター等も所在する著名な観光・ビジネス地区である。ハーレムにおいては、歴史的に数多くの黒人住民が暮らしており、彼らに対する暴力や構造的な人種差別が大きな課題となっていた。また、国内外における他地域と同様に、新型コロナウイルス感染症の蔓延によるコミュニティ間の分断が進み、地域住民の不安や怒り、悲しみ等を共有することのできる環境が不足していた点も問題であった。
そんな中、「Harlem BID」は、地域コミュニティが抱える傷や痛み等の内なる声を表面化させ、発信することで、地域コミュニティの意識変革を促すプロジェクト「Harlem Canvas for Change」を実施した。地元企業の協力を得て実施されたこの取組では、誰でも自由にメッセージを書き込むことのできる、黒く塗られたベニヤ板のキャンバスが街中に設置され、この黒いキャンバスは、道行く人々によって、彼らの悲しみや痛み、怒り、希望等、様々な感情を表した文章やイラストで埋め尽くされた。
【画像】2020年、ニューヨーク・ハーレムに設置されたキャンバスは、地域住民によるメッセージで埋め尽くされた。(Harlem BIDホームページより)
―海を越えた地域間連携の実現へ
こうしたハーレムにおける印象的な取組に感銘を受けたブリクストンは、ともに地域住民の人種的ルーツから派生した独自の食・アート・文化等が繁栄し定着してきたという社会的・文化的な共通点に着目し、ハーレムとの地域間連携の締結に向けて動き出したのである。
この地域間連携は、両地域がともに「平等」、「包摂性」、「社会正義」等の原則を核とする地域活性化の理念を共有し、歴史や社会的不平等、犯罪等の共通の社会課題の解決に向けた知識・経験の交換を行うことを目的として掲げている。具体的には、地元企業同士のコラボレーションを促進するための相互交流や月間イベントの開催等、継続的なプログラムを実施することで、相互の知見共有に取り組んでいる。以下に、地域間連携における具体的な取組を紹介する。
―地域のアイデンティティを発信する「Banner Program」
両地域において、黒人差別反対運動への支援を表明し、安全や社会正義等の社会問題への意識の高まりをPRすることを目的として、地元企業等と連携し、沿道の街灯に啓発バナー(ポスター)を掲示する取組を行った。ブリクストンでは32のポスターを作成し、街の中心地において、「Black Lives Matter」、「Brixton」、「Community」をはじめとする地域のアイデンティティとなる言葉とその概念を示す黒色のポスターが掲示された。例えば「Brixton」については、「音楽、芸術、文化、食が混ざり合い、アフリカ系・カリブ系の魂が宿る南ロンドンのグローバルなメルティングポット。」としている。「Community」については、「同じ場所に住んでいる、または特定の関心事を共有するグループ。ブリクストンの多くの組織は、歴史的に疎外されてきた人々の平等のための支援活動を行っている。」とし、ブリクストンという地域を象徴する言葉の定義とその言葉に込める想いを発信することで、地域のアイデンティティの確立と、その魅力の浸透に取り組んでいる。
【画像】ハーレム及びブリクストンにおけるポスター掲示の取組(Harlem BIDホームページより)
―「ブリクストン×ハーレム フェスティバル」の開催
2022年夏には、ブリクストンとハーレムの両地域の連携及びその共通点を祝福することを目的として、ブリクストンにて5日間の祭典「Brixton×Harlem Festival」を開催した。この祭典では、ブリクストンとハーレムのビール醸造所が共同し、お互いのビールを相互の地域のパブやバーで頼むことのできる「ビールエクスチェンジ」プロジェクトも行われた。黒人女性が経営する醸造所として米国で初めて創設された「ハーレム醸造所」とブリクストンの「ブリクストン醸造所」の連携事業となっている。また、期間中は、ガイド付きの無料ウォーキングツアーが複数実施された。このツアーでは「黒人女性の活躍推進」、「黒人音楽の100年の歴史」等のテーマに沿って、ガイドの説明を聞きながら、ブリクストン内の関連する地区を巡るもので、来場者に対し黒人文化及びブリクストンの歴史とその魅力を発信した。さらに、「Black Culture Market」を開催し、黒人の企業家・デザイナー・アーティスト等によるユニークな商品・ブランドを販売するブースが設置され、地元の黒人企業家の支援を行った。このほか、ブリクストンの中心地にある商店街「グランビル・アーケード」内の複数のストリート名を、期間限定でハーレム内に実在するストリート名に変更する等、地域間の結びつきをアピールした。
ここ数年における新型コロナウイルス感染症の拡大や黒人差別意識を背景とする暴力問題等によって、コミュニティ間の対立や分裂の危機が深刻となっている。上述の取組のとおり、こうした共通の課題に立ち向かう地域同士が手を取り合い、双方の地域における経済的・社会的価値の向上に向けて地域の魅力発信を行うことで、その発信力・影響力に相乗効果が見込まれ、国内外に向けてより大きなインパクトを与えることが可能となると思われる。
ブリクストン及びハーレムにおいては、今後も、両地域が自ら のアイデンティティにプライドを持つことで、その魅力が地域住民のみならず世界に浸透していくことが期待されている。
所長補佐 中村萌子
〇参考
・ブリクストンBID https://brixtonbid.co.uk/harlem/
・ハーレムBID https://harlembid.com/harlem-meets-brixton/
・ブリクストン×ハーレム フェスティバル https://www.brixtonxharlem.com/
・過去関連記事「『Pop Brixton』~ロンドン、ブリクストンの再開発とジェントリフィケーション」 https://www.jlgc.org.uk/jp/ad_report/pop-brixton-revitalization/