9月8日、英国民から敬愛されていたエリザベス二世が逝去した。この女王の逝去から9月19日の葬儀までの間にロンドンで行われた一連のセレモニーや市中の状況について、駐在員の視点から所感を交えてレポートする。
第1日目(9月8日木曜日)
午後7時にローカルスタッフからのテキストメッセージで女王陛下の訃報を知る。実際には午後6時30分にBBCの緊急ニュースで国民に告知された。
この日の午後、女王の体調がすぐれないことは既に発表されていた。同時に、王族が続々と女王の滞在先であるバルモラル城に向かっていることが発表されていた。それでもこの時点では、「The Queen is “comfortable”.」とも発表されており、重大な結末を迎えることを想像した人はさほど多くなかったように思われる。
発表直後からバッキンガム宮殿には人が集まり始め、花束を持ってくる人も見受けられた。やがて宮殿前の道路は通行止めになり、路上にも人が溢れるようになった。集まった人々の間で時折、女王の功績を称える拍手が起きていた。また、ロンドンを象徴する黒いタクシーも宮殿につながる路上に集まり、女王に追悼を捧げていた。
【女王逝去の告知から2時間ほど後のバッキンガム宮殿早くも多くの人々が訪れている。】
途中の店舗でお悔やみのポスターが掲出されていた。発表から1時間ほどしか経っていないので、予め準備されていたものと推測された。なお、その後、バス停の広告モニターも女王の肖像写真になっていた。いずれにしても、素早い対応に驚かされた。
【バス停に掲出された女王の肖像。「1926-2022」と生誕-逝去年が表示されており、逝去を告げるものになっている。】
また、この日、所員の一人がたまたま訪れていたミュージカル劇場では、開演に先立って観客に女王の逝去が伝えられるとともに、1分間の黙とうが捧げられたという。それでも公演自体は予定どおりに行われたとのことである。
さらに、女王逝去の告知以降、Prince Charles ではなく、King CharlesⅢと呼称が変わっていた。王位は即座に、自動的に継承されるためとのことであるが、急に時代が変わったようで、印象深かった。
第2日目(9月9日金曜日)
朝、出勤時にバッキンガム宮殿前を通ってみた。数多くの人が女王を偲んで宮殿周辺に集まっており、また、宮殿の柵沿いに花束が積み重なっていた。宮殿前ロータリーの一角には各報道機関が設置したテントが張られており、各国の報道機関が取材やインタビューを行っていた。
【逝去告知の翌朝のバッキンガム宮殿の門。既にたくさんの花束が捧げられている。】
また、街のあちこちに女王の肖像が掲げられた。バス停の広告モニター、街角の大型モニター(ロンドンを象徴する風景の一つであるピカデリー広場の大型モニターでも)、そして各店舗のショーウィンドウなど、女王の肖像で街が溢れかえる印象を受けた。
なお、テレビはBBCをはじめとして多くのチャンネルが女王陛下追悼番組に差し替えられていた。
この日、英国政府は、12日間の公式の服喪期間を発表した。
第3日目(9月10日土曜日)
街の様子は前日どおりで、あちこちで女王の肖像写真を見かける。宮殿近くのスーパーマーケットでは普段よりも生花コーナーを拡充されているように思われた。また、必ずしも宮殿の近くではない地下鉄駅の入口付近でも花束を売る仮設スタンドが設けられているようである。花束を持っていこうとする人がいかに多いかがうかがい知れた。
また、普段は日曜日にしか開かない教会で、この日は土曜日にも関わらずドアを開けていた。女王のために祈りを捧げる人々のために開けているのだとのことだった。
また、この日、チャールズ国王への王位継承が宣言された。まずはバッキンガム宮殿にほど近いセントジェームズ宮殿で王位継承評議会が開催され、ここで公式な王位継承が布告されたのだが、ロンドンの金融街、シティーにある王立取引所の前でも一般市民に向けて布告のセレモニーが行われた。
【王立取引所前での王位継承の布告セレモニーの様子】
さらに、女王の国葬が9月19日にロンドンのウェストミンスター寺院で行われることが発表されるとともに、葬儀に向けた日取りが明らかになった。イギリスでの国葬は、1965年に行われたチャーチル元首相の葬儀以来とのことである。
この日程によると、女王の棺はスコットランド・バルモラル城からエディンバラの教会に運ばれて安置された後、9月13日に空路でロンドンに向かい、バッキンガム宮殿で国王夫妻に出迎えられる予定とのこと。さらに、14日にはバッキンガム宮殿から国王夫妻をはじめとする王族や軍に付き添われ、テムズ川に面するウェストミンスター宮殿の大広間に運ばれる。ここで葬儀まで安置され、市民は棺の前を通り、最後のお別れができるようになるとのことだった。この市民による参列は4日間、24時間いつでも受け付けるとのことだったが、それでも「非常に長蛇の列が予想されるのでご注意を」と報道されていた。
第4日目(9月11日日曜日)
バッキンガム宮殿を訪れた他の所員の話では、宮殿前ロータリーは女王を悼みに訪れた人々で大混雑し、そこに近づくためだけでも数時間かかる状況だったとのこと。
【一般市民の弔問で混雑するバッキンガム宮殿周辺】
自分がたまたま訪問したV&A美術館では、その入口付近に記帳所が設けられていた。おそらく他の博物館でも同様の対応を執っていたものとみられる。また、街角で普段よりもずっと多くの警官を見かけるようになった。
なお、この日、女王の棺はバルモラル城を出て、エディンバラのホリールード・ハウス宮殿に移されたとのこと。
第5日目(9月12日月曜日)
バッキンガム宮殿前のロータリーにつながる道が全て通行止めになっている。通勤途中の歩道も仮設の柵で囲われ、大イベントを予想させる雰囲気になっている。また、宮殿近くの公園のそこかしこで花束を見かけた。おそらく、大混雑のために宮殿に近づけなかった人々が、あきらめて置いていったものと思われた。なお、週末のある時点から、花束を置くための特定の場所が指定されるようになった模様である。公園内では、女王のイメージカラーである薄紫色のベストを着た複数のボランティアスタッフが道案内を行っていた。
事務所前の大通り(女王の棺を乗せた車が通過する予定になっている)が一時的に通行止めになった。警官、パトカー、白バイも数多く集まっており、非常に物々しい雰囲気になっている。おそらく、女王の棺の移動についてのリハーサルであると思われる。大通りが通行止めになった都合で、周辺では大きな渋滞が発生している。が、もともと渋滞が頻発するロンドンでは、あまり問題にはならないようだ。
ロンドンのとある老舗食料品デパートでは、常日頃は趣向を凝らしたショーウィンドウで来店者のみならず通りがかりの人々の目を楽しませているのだが、今日、事務所からの帰り道にこのデパートの前を通った際には、すべてのガラスに黒いフィルムが貼られ、ウィンドウのなかが見られないようになっていた。また、玄関口に立って来店者を出迎えるコンシェルジュも黒いネクタイをしており、デパート全体で女王に対する弔意を示していた。
【デパートのショーウィンドウに掲出された女王の肖像とお悔やみのメッセージ】
なお、イギリス政府は、9月10日に葬儀日程を発表した際、併せて、国民・企業に対して「経済活動を止めないように」とも呼び掛けていた。
なお、この日から、女王の棺はスコットランド・エディンバラのセントジャイルズ教会に移され、一般市民の弔問を受けることになっている。
第6日目(9月13日火曜日)
今朝の通勤途中の公園では、警察官に加えて臨時の警備員を数多く見かけた。場所によっては20メートル程度おきに立っており、警備員の総数は相当な数に上るものと推測された。
公園沿いの宮殿につながる道は女王の棺の通り道となるため、あちこちで英国旗を掲げるための仮設ポールの設置が進められており、広い道をたくさんの重機が走り回っていた。また、女王の棺を見送る人の大混雑を見込んで、公園内のあちこちに仮設テントや仮設トイレが設けられている。このうちには、救護所や休憩所も含まれ、非常に周到かつ行き届いた準備が進められているように感じられた。
【英国旗が掲げられた宮殿前の大通り】
また、宮殿近くの警察署前を通りがかった際、その駐車場でTシャツ・短パン姿でバスタオルを持った人たちが列をなして並んでいるのを見かけた。その列の先には仮設のシャワーブースがあり、泊まり込みで警備にあたる警察官が並んでいるものと思われた。
なお、あらためて写真を撮るため、再度、出かけてみたのだが、バス停や街角の液晶パネルでの女王の遺影の表示は既に終了していた。おそらく、週末のどこかの時点で終わっていたものと思われる。
女王の棺が安置されたスコットランド・エディンバラのセントジャイルズ教会には、女王の棺に最後の挨拶をしようとする何千人もの人々が並んでいるとの報道があった。ロンドンでも数十万人規模の行列ができるものと想定されており、交通機関や道路の混雑が予想されるため、旅行者への注意が促されている。
【ロンドン中心部に乗り入れる地下鉄の混雑、混乱に注意を促すポスター】
チャールズ3世は連合王国の4つの「国」(イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズ)を歴訪しており、この日は北アイルランドを訪問しているとのこと。
第7日目(9月14日水曜日)
朝のニュースで、昨夜、女王の棺がスコットランドからロンドン・バッキンガム宮殿に無事に移送された旨が報道されていた。
本日午後には、その棺がバッキンガム宮殿を出て、ウェストミンスター・ホールに移動する。朝の事務所への出勤途中でその移動経路の一部を通ったが、まだ5時間以上もあるというのに、既に多くの一般市民がフェンス際に並んで女王の棺の通過を待っていた。
事務所が面している道路は棺の通過経路になっていないが、通過経路にはつながっているため、午前10時ごろから通行規制が敷かれた。幸い、所員の通勤時間には影響がなかったが、警備の警官に尋ねると、いったん規制区域外に出ると同区域内には戻れないとのことであり、実質的に事務所に閉じ込められた状態になった。昼食にも出られず、窮屈な思いをした。
棺の移動が終わった午後3時頃、引き上げる人々で事務所前の道路が一時的に大混雑したが、やがて通行規制も解除され、出入りが自由になった。
今日の午後5時から女王の棺に一般の弔問客に公開されるとのことで、その会場となるウェストミンスター・ホール(ビッグベンのある国会議事堂のなかにあるホール)があるウェストミンスター駅周辺は非常に混雑していた。
【女王の通夜が行われているウェスミンスター宮殿】
夜のニュースでは、BBCがこの一般弔問客が参加する通夜の様子をストリーミングで流していた。これによると、列の最前列の人は、2日前から並んでいたとのこと。また、列の長さはこの通夜のための政府の公式サイトで常に公開されている。なお、午後5時に並んだ人が、深夜3時頃に入場できたとのことで、約10時間程度を要した模様である。
【英国政府が設置した、通夜に並ぶ人の列の長さ、再後尾の位置等についてのライブ情報を表示するサイト】
第8日目(9月15日木曜日)
朝のニュースでも通夜の様子が報道されていた。
午後5時過ぎ時点での列の長さは4.4マイル(約7km)、最低でも9時間並ぶ必要があるとのこと。待ち時間は昨夕とあまり変わらない模様。
その他は、昨日からはあまり変化がない様子。
第9日目(9月16日金曜日)
今朝もBBCのニュースは、女王の通夜に並ぶ人々の様子をメインニュースとして取り上げていた。朝7時の時点で、列の長さは約4マイル(約6.4km)、約12時間並ぶ必要があるとのことだった。
ニュースでは、併せて、チャールズ国王による連合王国内の各国訪問の一環として、今日はウェールズを訪問する予定であるとのことだった。
出勤途中で、バッキンガム宮殿に隣接するグリーンパークに立ち寄ってみた。ここには仮設の献花スペースが設けられている。過去数日間にわたって退勤時に立ち寄ってみようと何度か試みたのだが、来訪者が多くて近づくことさえ困難だった。今日は早朝ということもあって近寄れないほどの人はいなかったが、それでも未だ多くの人が花を持って訪れていた。献花スペースはその全体が花束と女王にあてた感謝のメッセージで埋め尽くされており、改めていかに人々に慕われる女王であったかが偲ばれた。
【グリーンパーク内に設けられた献花スペース】
なお、バッキンガム宮殿近く、また、女王の棺が安置されている国会議事堂近くには、数多くの仮設テントが立っていることは既に述べたが、このうちのいくつかには「Water」、「Medical」さらには「Welfare」と書かれたのぼりが立てられており、一般の人々に無料で水が配布され、また、救急スタッフも常駐していた。最後の「Welfare」は何が提供される場所かわからず、したがって日本語での説明も想像がつかなかったのだが、今朝、その「Welfare」テントの前を通ると、コーヒーや紅茶が無料で提供されており、「ご接待所」的なイメージだった。
【救護所、給水所、そして「ご接待所」】
総じて、女王が逝去されてからの1週間で、ここまで大規模な一連のイベントが滞りなく進められていることに非常に驚いている。女王の逝去に備えて、「Operation London Bridge(ロンドン橋作戦)」と名付けられた葬送計画がずっと以前から準備されていたものとは聞いていたが、その「作戦」の規模の大きさ、綿密さ、周到さには、やはり驚きを禁じ得ない。
第10日目(9月17日土曜日)
今日も通夜が行われている。弔問に訪れる一般市民の列はどんどん長くなる一方である様子。子どもの姿もあり、12時間以上もよく我慢できるものだと思った。また、数多くの人々がこれだけの長い時間立ち続ける、歩き続ける、待ち続けることを受忍しているのを見て、女王がいかに愛される存在であったか、を改めて感じた。なお、この人の列には多くのボランティアや警備員が寄り添い、またトイレや救護所もあちこちに設置されていたものの、過酷な環境であることには変わらず、これにさしたる文句も言わず並び続ける英国人は実は我慢強いのだということも、理解できた。
第11日目(9月18日日曜日)
ニュースでは引き続き通夜の様子をとり上げるとともに、葬儀に参列する各国首脳が続々とロンドンに集まっている様子を報道していた。あまりに数多くのVIPの参列が見込まれることから、VIPがそれぞれ葬儀会場であるウェストミンスター寺院に集合するのではなく、いったん別の場所に集まり、そこからバスに同乗して参集するという「異例の」ロジが組まれることになったとのこと。
なお、私用で市内を移動する際、通夜に参列するための一般市民の列の横を並走する機会があったが、列は立ち止まることなく常に動き続けており、そのためにかえって座るチャンスもなく、参列者には、やはり非常に過酷な状況であるように感じた。
翌日は葬儀に合わせて市内の小売店等が休業するということで、この日の夜はどこのスーパーもたくさんの買い物客でいっぱいだった。ハンバーガーショップのマクドナルドも明日は休業するらしい。
通夜に参加するための列はこの日の夕方に打ち切られた。最長で10マイル(≒16km)に達し、24時間以上並ぶこともあったとのこと。
【予め準備された約8kmに及ぶ行列ルート(実際にはもっと長くなることがあった模様)】
第12日目(9月19日月曜日)
いよいよ女王の葬儀が行われる日。朝一番で驚いたのは、街が「異様に」静かであったことだ。主要駅近くに住んでいることもあって、自分が済む周辺は交通騒音や行きかう人々の声で常に騒々しいのだが、この朝はこれらの騒音が全く聞こえなかった。ベランダに出て外を見てみると、交差点ごとにフェンスが設置されており、線ではなく面的に、そしてほぼ全面的に通行止めになっていた。
【普段は交通量の多い大通りに車が全く見当たらない】
さっそくテレビの電源を入れたら、民放ではコマーシャルの放映を中止していた。いつもは約15分おきに流されるコマーシャルの時間枠に「今日はコマーシャルを流しません。番組の再開までしばらくお待ちください」という文字が現れるのみであった。また、こちらでも数多くある通販番組も今日は休止になっていた。なお、先にも述べたように、今日の葬儀当日は大手小売業、飲食店等で休業するところもあったが、12日間の公式服喪期間においてもこの日以外は特段の自粛はなかったところである。
朝食を済ませた後、葬列に参加しようと家を出た。棺を乗せた砲車が水兵に曳かれていく予定であるセントジェームスパークが最寄りであるため、そこに向かおうとしたが、エリア全体が歩行者も含めて通行禁止になっており、やむを得ず、人の流れに沿ってハイドパークまで歩くことにした。この園内を女王の棺を乗せた霊柩車が園内の通路を通り抜ける予定になっているのだ。このハイドパークまでは最寄りの主要駅から2kmほど歩く必要があるのだが、この間、ずっと数多くの人々が同じように歩いていた。この人の流れのなかで、これだけ歩かされてもやはり文句を言わない英国人に少し驚いた。特に今回は途中の案内もまばらで、かつ曖昧であるのに、みんな文句を言わずに数キロを歩いているのである。普段は(日本人と比べて)自己主張が強く、思ったことを忖度せずに口にする人々が(個人の感想です。)、今日は文句も言わずに歩いていることについて、女王への想いの深さ同時に、「文句を言っても仕方がない」という諦念を感じた。
ようやくハイドパークの外周にたどり着いた後にも、入り口が制限されていたため、中に入るまでにさらに1kmほど歩いた。そしてようやく園内に入っても、既に数多くの人がフェンス際に陣取っており、なかなか待機場所が見つからない。また、女王の棺が通るまで約2時間もあるため、フェンス際で待つのをあきらめ、園内のカフェで買ったコーヒーとナッツケーキを手に、ベンチで待機することにした。
スマホで葬儀の進行状況、女王の葬列の進み具合を確認しつつ、女王の通過が想定される時刻の30分前までベンチで待っていた。この間、遠くから一定の時間おきに号砲がならされるのが聞こえ、また、教会で歌われる讃美歌がスピーカーを通じて流れているのを聞いていた。なお、狭い範囲にたくさんの人が集中していたため、スマホがネットにつながりにくくなっていた。
いよいよ30分前というタイミングで、自分も女王を待つ人垣に加わることとした。すでに人垣が「できあがって」いた。しばらく周囲の状況を観察し、人垣の最後列だが、スロープ状になった通路わきスペースの最上段でもあり、かろうじて通路の様子が見える場所を確保することができた。
そして、30分後、スマホに表示された通過予想時刻通りに(ただし、もともとの計画よりは30分遅れで)、女王の棺を乗せた車がパーク内を通過していった。その際、拍手を贈る人々もいた。
【ハイドパークを出る女王の棺を乗せた霊柩車と見送りの一般市民】
霊柩車の通過はあっという間に終わり、終わった瞬間に人々が動き出した。今度は公園内ではなく、公園の周囲の道が人で溢れかえることになったが、車両については全面的に通行止めになっているおかげで、大きな混乱もなく、自分も含めて、人々はそれぞれに解散していった。
帰宅後、あらためてテレビで葬儀、葬送の様子を見た。ウェストミンスター寺院での葬儀、そこからハイドパークまでの葬送、さらに居城であるウインザー城での葬送、葬儀までのすべてが中継されていた。(自分が見たのは録画であったが。)その映像を通して、あらためて、その規模の大きさを知った。
逝去から葬送に至るまでのロンドン市内の状況を見ていて、英国民による女王の死の捉え方が、悲嘆一色ではなく、女王の功績への称賛を伴うものであったように思われた。女王の棺に拍手を贈る人が少なからずいたのは、その称賛の表現であったと思う。(もちろん、通過する棺を見つめて涙する人もいたが。)花束等に添えられたメッセージにも女王への感謝の気持ちを親近感を込めて伝えるものが多く、いかに女王が国民に愛されていたが、がよく理解できた。
もう一つ、今回の女王の葬送に係る一連のイベントを体験して感じたのは、「英国の底力」のようなものだったと思う。ロンドンでは非常に外国人比率が高いせいか、コスモポリタンな雰囲気であふれ、自由である代わりに、英国人としての「らしさ」、結束力を感じることがあまりない。(個人の感想です。)それが、女王の死後、わずか10日余りで準備を進め、結果として2500人にも上る世界中のVIPと一般参列者約200万人を迎えつつも、厳粛な雰囲気のなかで整然と行われる葬儀を見て、英国民の結束力をはっきりと見た気がするのである。
同時に、この結束力の醸成に女王が大きく貢献していたのは明らかであるように感じられた。ブレグジット後のEU及び世界との関係の再構築、過去40年間で最大のインフレ、燃料費の高騰など、課題が山積する英国において、先代女王と同様の役割を果たすよう、新国王には大きな期待が寄せられているものと思われる。
【葬儀翌日のバッキンガム宮殿前の大通り「The Mall」】
ロンドン事務所次長 酒井 裕史