先日、ドイツ・デュッセルドルフ市内を歩いていた際に、歩道の端に設置されている電話ボックスのようなものが目に留まった。筆者が暮らすロンドン市内では、まちの象徴とも言える赤い電話ボックスがそこかしこに設置されており、日常の風景に溶け込んでいるためあまり気に留めることはないが、このボックスは、金色の額とガラスで覆われたもので、そのスタイリッシュな様子に興味をそそられた。
近づいてみてみると、そのボックスの中には100冊程度の様々なジャンル・大きさの本が収納されていた。ボックスの側面のプレートには、ドイツ語でこの本棚の概要らしきものが記載されていた。翻訳にかけてみると、市民や観光客など、だれでも自由に利用することのできる公共の本棚「Offener Bucherschrank(開かれた本棚)」と呼ばれる、24時間365日営業の小さな図書館であることが判明した。そこには、このまちを訪れるすべての人に向けて、本棚の中の本や雑誌を持ち帰ったり、自分の好きな本を寄付したりと自由に利用し、新しい本との出会いを楽しんでほしい、とのメッセージが記載されていた。本棚は頑丈な作りで、激しい雨風にも耐えることのできる設計となっている。同様の本棚は、ドイツ各地の街角や商業施設等、様々な場所に設置されているという。
【画像:本棚の中には、多様なジャンルの本が取り揃えられている。】
筆者が発見したこの本棚は、デュッセルドルフ市に拠点を置くチャリティ団体「Literaturbüro NRW」が、2011年6月から設置を始めた本棚であった。
この団体は、1980年にドイツ語圏初の文学事務所として活動を開始し、以降、ノルトライン=ヴェストファーレン州(=NRW州:デュッセルドルフ市が所在する都市州)における文学と作家の振興を目的として、NRW州文部科学省及び州都デュッセルドルフの文化庁の支援を受け、非営利団体として活動しており、その活動の一環として、公共本棚をデュッセルドルフ市内10か所以上に設置している。これらのブックケースの設置費用は、約9千ユーロ(約120万円)であり、増設に向けて、各行政区への申請や出資者の獲得に取り組んでいる。
【画像:扉には鍵がかかっておらず、自由に開くことができる。】
本棚の管理はボランティアによって行われており、定期的に、中身の確認や本の整理整頓、清掃が行われているという。先ほどのプレートには、このボックスの説明書きのほか、破損があった場合等に報告することのできる連絡先も記載されている。実際のところ、破壊行為等は非常に稀であるといい、ごくたまに落書きなどがみられるにとどまっているという。
公共本棚の歴史は、1991年にドイツのパフォーマンス・アーティストのユニット、「クレッグ&グッドマン」が作成した芸術作品がはじまりであった。以降、1990年代後半に、ドイツのダルムシュタットやハノーファーで、道端に本棚のコレクションが設置されるようになった。現在では、ドイツを起源として、オーストリア、スイス、フランス等の欧州各国においても設置が広がっているといい、政府、自治体等の支援を受けながら、個人、チャリティ団体等といった様々な主体によって運営されている。
ドイツの公共本棚について調べている中で、オランダ・アムステルダム市を訪れた際に、道の脇に本棚が設置されていたことを思い出した。この本棚は、デュッセルドルフ市で見かけたもののように頑丈な作りではなく、二段の木製の本棚に、屋根が付けられた手作り感のあるかわいらしいものであった。ここにもぎっしりと本が詰まっており、何かと不思議に思っていたが、本棚の屋根に雨除けのためのビニールシートがかかっている様子から、おそらくこれも地域の人々が自由に本を貸し借りすることのできる公共本棚の一つであったと思われる。なお、この本棚には、特に利用方法や管理主体に関する説明書きは見られなかった。
【画像:アムステルダム市内の本棚】
さらに、英国においても、冒頭で触れた、英国名物「赤い電話ボックス」を活用した同様の取組が存在する。英国では、使用されなくなった古い電話ボックスの再利用に向けて、各地域の自治体や非営利団体、電話ボックスが設置されている土地の所有者等向けに、電話ボックスの再利用者(里親)を募集し、その所有権を提供する「Adopt a Kiosk Scheme(電話ボックス里親スキーム)」と呼ばれる制度がある。このスキームを活用した里親によって、古い電話ボックスを、まちに開かれた小さな図書館として再利用している例が多く存在し、地方都市を中心に、英国内200以上の場所に「Phone Box Library(電話ボックス図書館)」が設置されているのである。なお、このスキームを活用した電話ボックスの活用事例としては、図書館としての活用のほか、AED(自動体外除細動器)の設置をはじめ、様々な用途で活用されているという。
自分の好きな本が、同じ本棚に手を伸ばした第二、第三の人に次々と渡っていくことを想像すると、自然と温かい気持ちになり、地域の人々との繋がりを感じるとともに、地域自体への愛着が深まるのではないか。筆者がドイツの本棚を見かけた際も、道行く人が本棚の中を覗き込んだり、実際に本を手に取って川沿いのベンチに腰掛け読んだりしている様子がみられた。また、本棚の前で(おそらく)おすすめの本について語り合っている人もおり、地域の人々が街中で本を通じ、コミュニケーションをとることのできる情報・交流拠点にもなっている。
なにより、「盗まれてしまうのではないか」「本が汚されてしまうのではないか」等といったリスクや不安をよそに、細かいルールを作らず、地域に住む市民や訪れる観光客を信頼し、自分の好きなものを地域の人々とシェアしていこうとする考え方は、欧州でみられる、素晴らしい習慣・感覚の一つであると考える。
ロンドン事務所所長補佐 中村萌子